羽田の渡し跡 [自転車]

2011年11月20日(日)はれ

前回、矢口の渡しへ行き多摩川の渡しを調べたら近くに羽田の渡しが在ったとの事で行きました。

渡しの碑は、大田区側の首都高と大師橋の間にあります。
CIMG3236.JPG

記念碑の裏には、羽田の渡しについて記載されていました。
CIMG3235.JPG

~記念碑案内板より~
古くから、羽田漁師町(大田区)と上殿町(川崎市)を渡る「羽田の渡し」が存在していたという。
この渡しは、小島六佐衛門組が営んでいたので、「六佐衛門の渡し」とも呼ばれていた。
渡し場付近の川幅は約80mぐらいで、「オーイ」と呼ぶと対岸まで聞こえたという。
その昔、徳川家康が狩りに来た帰りに、お供の者と別れて一人でこの渡し場に来たところ、船頭は家康とは知らずに馬のアブラを取ったという伝説が伝わっている。

ここで使われた渡し船は、20~30人の人々が乗れるかなり大きなもので、この船を利用して魚介類、農産物、衣料品など、生活に必要な品々が羽田と川崎の間を行き来していた。

江戸の末には、穴守稲荷と川崎大師参詣へ行き交う多くの人々が、のどかで野梅の多かった大森から糀谷、羽田を通り羽田の渡しを利用するため、対岸の川崎宿では商売に差しつかえるので、この渡しの通行を禁止して欲しいと公儀に願い出るほどの賑いをみせていたという。

また、明治後期から昭和初期にかけて、川遊びをする船も往来していた。
物資の交流だけでなく、人々の生活、文化の交流など大きな貢献をしてきた羽田の渡しは、時代の象徴とともに多くの人々に利用されたが、昭和14年に大師橋が開通したことにより廃止された。
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案内板の横の銅版は、富士山も描かれた渡しの様子が描かれています。

今日は霞んでいて見えませんでしたが、この場所から富士山が見えます。

渡しの記念碑の横には、旧大師橋の親柱があります。
CIMG3238.JPG

以前、自分のブログで紹介した旧大師橋の反対側です。
何度も通った場所ですが、気づきませんでした。
もっと周りを気にしながら、のんびりサイクリングしたいと思います。

現在の河口は、船の係留地になっています。
CIMG3237.JPG

走行距離23.05km 1h58m
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